私の作詞講座(皆さんの作詞法などをご紹介ください。レスもO,Kです)
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[26] 投稿者:佳奈 投稿日:2009/01/01(Thu) 14:09  

愛、このせかいにはない感情                    幾多の歴史を生き抜いたあの神様でさえも知らない分からないもの         人は何を愛と呼んでそれを信じてきたのだろうか          疑うも従うも信じるも勝手にすればいい              ただそれは本当の愛なのか胸に手当て一度考えて  信じたものを疑って迷わず笑えればあーいでいいんじゃない     答えがわからなくてもいい全てが曖昧なこの世界だから       求めるべきものは真実でも仮想でもない 想、イマジネーション


[25] 僕の作詞講座vol.10 投稿者:紫有情 投稿日:2008/10/05(Sun) 08:25  

今日は「乙女の純愛演歌」の作詞の秘密を話そうと思う。
演歌の作詞家は年配者が多い。
僕も59歳・・・似通った人が多いと意味だ。
多くの人たちは『過去の自分の体験』なんかを元にして作成しているみたいだ。
でも、遠い時代の体験は美化されてしまっている。
まったく架空で現実に根拠のない作詞は、誰にでも見透かされる。
「恋は生き物」だということを知らないようだ。
電気と同じ性質だ。
光速と同じ秒速3万キロメートルで走る電気、作り貯めはできない。
恋も同じだ。
恋が貯蔵に適しないとしたら、昔の恋愛体験なんて意味あるだろうか。
テレビで『初恋人探し』という企画があったらしい。
男性の応募はあったらしい。
でも番組は成立しなかった。
初恋の相手の女性が逢いたがらなかったらしい。
夫がいる人もいて、夫に知られたり遠慮もある。
初恋相手の男性に年老いて醜くなった自分を見せたくない女性もいる。
それに初恋と言ってはいるが、『男性の思い込み』で『男性の片思い』も多いらしい。
普通の男性には初恋はあっても、その相手は『昔の乙女』だから『現在の乙女』の方がいいに決まっている。
だから、番組は成立しなかった。
僕は今、青春真っ盛りの青年から『恋』を聞いている。
どんな方法かと言うと、毎日のように『恋愛相談』をしている。
相談に応じることで擬似体験をしていることになるのだ。
いつも『恋愛』と接していないと『恋愛詩』は書けないと思う。
妻が7歳年下の美人というのも作詞にはプラスである。
でも、21歳の女の子とメル友して恋愛詩を送ったりしていることが作詞にもっとプラスになっている。
もちろん、ゴスロリやピンクふりふりが似合う特別可愛い女の子だ。
ゴスロリやピンクふりふりが解らないって?
『乙女の純愛演歌』は絶対に作詞できないこと保証しよう。
もし僕が不倫演歌を作るなら初代桂春団治がモデルの『浪花恋しぐれ』の歌詞のように「芸のためなら女房も泣かす」だけの度胸はあるつもりでいる。
作詞って奴はそんなことまで要求している気がしている。



[24] 僕の作詞講座vol.9 投稿者:紫有情 投稿日:2008/10/02(Thu) 11:22  

作詞家も作曲家も若々しくいるのが基本だと思っています。
たとえ何歳でも若者の心でいないといい歌は作れるはずはないのではないでしょうか。
それは実生活でも同じですが・・・。
同じことを繰り返し言ったり、保守的にだけはなりたくないと思っています。
それに演歌だけでなく歌謡曲もPOPSも作詞したいと思っています。
シンガーソングライターが増えて作詞者の活躍機会が減少しています。
でも彼らが作る歌詞より段違いに良ければ振り向いてくれると思います。
21歳の女の子のメル友に恋愛詩を書いて送って感激させてしています。
「大好きよ」の一言がどれだけ嬉しいか・・・判りますか。
もちろん、某所に作品応募も・・・。
演歌は作詞から作曲・編曲が基本ですが、若者の歌は曲が先行する場合が多いようです。
僕は楽譜なしでも、曲だけで作詞できます。
「作曲家は歌詞があればどんな種類の歌の作詞もできないといけない」という作曲家の人がいました。
作詞家も同じだと思います。
どんなジャンルでも、曲が先でも、作詞できないといけないと思っています。
「乙女の純愛演歌」はあくまでも得意分野です。
どんな作詞の依頼にも応じるつもりでいます。
そして曲の先行しても・・・。
僕自身の作詞家としての作詞年齢は24〜25歳だと思っています。
作詞家、作曲家の皆様、いつまでも若々しくいましょうね。
酒を飲んだり、タバコを吸う代わりに、牛乳やオレンジジュースを飲んでいます。
チョコレートやアイスクリームを好むのは子供っぽいのかも知れない。
毎夜石鹸で洗顔すること7歳年下の美人妻、友人で年下はたった3名だけ、
そんなところにも若さの秘訣があるのかもしれない。
常に新しいことに関心を持ち、若い人の歌も歌おうとしている59歳。
あの世に旅立つ前日までは、下手な作詞を続けたいと願っています。



[23] 無題 投稿者:管理人 投稿日:2008/09/29(Mon) 19:29  

「乙女の純愛演歌」いいですね。
乙女や青年には書けないだろうし、オバサンオジサンにも無理だし
書ける人は少なく
もし出来ればロマンチックなものになるのでしょうね。


[22] 僕の作詞講座vol.8 投稿者:紫有情 投稿日:2008/09/29(Mon) 15:18  

作詞の基本は「盗む」ものだと理解している。
強盗とか窃盗などの類ではなく徒弟制度の盗みだ。
師匠は手取り足取り教えたりしない。
弟子は師匠の技を見ていて盗むのだ。
有能な作詞家の諸賢がおられる中で僭越を通り越して厚かましくも卵の僕が書いているのも考えるヒントにくらいにはなったと思う。
掲載するからには「他人の作詞講座」も覗いた。
僕と同じだった。
抽象論は展開しても具体論ないし要点は触れず仕舞い。
「やっぱり」と思った。
自分のマル秘テクニックなんか誰も教えるはずがないからだ。
僕も編み出したノウハウはあるがここでは披露しない。
自分の歩む道であることとその手法に実績がないからだ。
『人の評価は他人が決める』という大法則があるからだ。
「俺はプロの作詞家だぞ」という男がいた。
「賞はヒット作は」と聞いたら答えなかった。
僕は短文が認めらるようだ。
ブラックユーモアが朝日新聞に掲載された。
標語は高松市長賞をもらった。
川柳は合併前の香川町誌に掲載された。
俳句も大手の仏壇メーカーの主催で入選した。
全部初陣勝利だが後はやらない。
本来は詩を創作したいのだ。
これらとても、作詞や詩での受賞ではないから本当は「作詞家の卵」と自称するのは恥ずかしい。
歌手になるために「カラオケ大会」を総なめにした話はよくある。
今は私的なカラオケ教室主催の「カラオケ発表会」はあるが公的な「カラオケ大会」は殆ど消えた。
財政赤字なのだろうか。
「作詞コンテスト」なんてものはないから「詩のコンテスト」に参加することにした。
「作詞」と「詩」とは違うと言われる方もいるが、基本的には同じと思う。
付曲されるのを前提にしているか否かだと思う。
演歌は定型詩が殆どだが、若者のPOPSでは自由詩がかなりある。
定型詩でも自由詩でも作れないといけないと思っている。
曲があればそれが作詞を前提にしないものでも作詞できる。
実際イメージソングに自由詩の作詞もした。
僕の声帯は音程はともかくどんな高音も低音でも対応可能だから、
外国語の歌を覗いてどんな古い歌も若者の歌にも挑戦したいと思っている。
全てあらゆるジャンルの作詞をしたいためである。
得意は「乙女の純愛演歌」、不倫流行の女性演歌への反抗心かもしれない。
早くアマチュアでもいいから正々堂々と「作詞家」を名乗りたい『紫有情』でありました。



[21] 僕の作詞講座vol.7 投稿者:紫有情 投稿日:2008/09/28(Sun) 05:46  

全ての創作の原点は『情報の量』に基づく。
細々とした自己の私生活の情報や単なる思い付きだけでの創作が他人の心に届くはずがない。
同じような人間の人生だけど詳しく覗くとみんな違うからである。
だから、歌詞の創作にも膨大なデータベースを必要とする。
将棋や相撲の世界は情報戦争だと言われている。
棋士はだれでも棋譜のデータベースを持っている。
試合直前になると試合で予想されそうな手の棋譜を200種類くらい頭にインプットするらしい。
だから相手が指すと直ちに「何年何月何日の誰と誰の試合の何手目と同じ」と判るらしい。
もちろん考えたりもするらしいけど、全部考えていたら持ち時間がなくなるらしい。
相撲でも似たようなものらしい。
相手を研究し尽くして試合に臨む。
どちらも、すべてPCを使っている。
僕は、音痴なのだが歌をPCに教えてもらっている。
自分に必要なフリーソフトをほぼ揃えて手に入れて使っている。
作詞には本格的にPCを使うつもりでいる。
僕はカラオケ喫茶へ行くが、目的は歌唱より良い詩や語句探しである。
でも、近頃腹立たしいほどひどい歌詞が多いのに驚いている。
時間をかけて熟成していないのだ。
ワインとして出された酒がブドウ汁なのである。
まだ、もっと推考したらいい作品になるのにと思うばかりでない。
歌詞の中に作詞のミスと思えるフレーズまである。
有名な先生の作のはずが・・・ゴーストライターの作ではと思うのもある。
作風がまるで違うのだ。
それから怪しいご当地ソングも多い。
僕は意地悪だから歌詞の中の固有名詞を消去して聞く。
○○岬、××海峡、△△列島あるいは◇◇港とかいった類である。
固有名詞を消した途端、情景が消えてしまうのが多い。
別の固有名詞を入れても全く歌になってしまう。
東京かどこかのアトリエの中だけで作詞したのだろう。
生活はおろか行ったことも見たこともない地方の作詞だとすぐに判る。
きっとその地方の人は歌いたくないだろうと思ってしまう。
その地方を知らない人だけが歌うご当地ソング。
僕には作れないし作りたくない歌だ。
きっとどちらも希薄な情報データベースしかお持ちではないと思う。
僕は情報データベースばかりではなくもちろんネットでも調べる。
それで足りなければ取材も厭わない。
かつて小説を書いたとき、現地での聞き取り調査までした。
作詞の場合も同じようにしようとしている。
国語辞典と漢和辞典さえあれば作詞はできると思っておられる人がいたら悲しい限りである。
哲学辞典、季語辞典、経済学辞典ばかりでなく歴史書、法学書、数学書や科学書まで用意している。
たがが作詞、されど作詞・・・でも自分自身の全人格の表明と位置づけている。
数学科出身の僕は、哲学書を読み多くの抒情詩に狂い、法学書や歴史書を愛し、小説や童話の創作で挫折した人間である。
短文の才能を認められて作詞の世界に入った。
香川菊池寛賞の選考委員長で香川大学名誉教授である人のゴーストライターとして書いた著名の専門学校の校歌が処女作である。
59歳なのだがコンピュータの経験は37年にもなる。
現存する最古のシステムエンジニアだからこそ「情報量やその価値」に敏感なのである。
作詞はひらめきや才能の時代ではないと思う。
似たよって誰の作品か区別さえ付かぬ新作ばかりが多い演歌。
このままでは大好きな演歌が「老人の子守唄」になってしまうと危惧している。
膨大な情報を集め、整理集約して歌詞にどう盛り込むか課題と思う。
僕は作詞のためにある種の情報収集と研究を開始している。
新しい作風になるかも知れない。
誰も自分なりの作風を持っていたり、持とうとしている。
でも「情報データベース」を持たないで作詞の世界で生き続けることは無理だと断言したい。



[20] 僕の作詞講座vol.6 投稿者:紫有情 投稿日:2008/09/27(Sat) 09:04  

みなさんは「4分33秒」という名曲をご存知だろうか。
これは曲だけなのだが、僕の作詞にも大いに参考になっているのでこの話から始めたい。
ジョン・ケージによって1952年に作曲した曲の通称名らしい。
地球上で実現可能な限界とされる「絶対零度(-273℃)」を表現していると言われる。
「4分33秒=273秒」ということだからである。
音楽さえも凍りつく世界・・・「無音の」音楽である。
演奏はできる形で集う演奏家たち・・・でも楽器を奏でることはない。
4分33秒の間、演奏者は静寂を保つだけである。
第1楽章を33秒、第2楽章を2分40秒、第3楽章を1分20秒で演奏することが通例らしい。
指揮者はその楽章の転移だけを聴衆に知らせる。
この曲は、演奏会場内外の自然に聞こえる雑音、会場内の話し声や物音、外の自動車や通行人の音、鳥や虫の声などあらゆる音を聴くものとされている。
でも、僕は「音楽さえも聴きたくない」ときに聴くことができる最高の癒しの音楽と思っている。
もちろん、童話の世界の『裸の王様』の衣類と同様な感じもするから、相当な非難を浴びているらしいが、僕は一つの名曲だと思う。
歌詞見たままありのままを表現するのも一つの方法。
でもそれ自体を間接的に表現する方がいいと思っている。
「自分が泣いている」と表現より、「心に雨が降る」とか「ハンカチさえ濡れて」と言った方がいいと思っているからである。
ダイレクトにそのものを指すと聞き手の思考はそれで止まる。
言葉が足りなく、聞き手の想像力をかきたててこそ良い詩だろうと思う。
5〜6行で1〜3番しかない演歌の歌詞なら、字数が限られている。
行間に言葉を入れる。
舌足らずの表現で聞き手が参加しないと歌にならないような作品。
それが僕の望んでいる作詞だ。
太陽自体は公転も自転もしなくって、地球から見たら動いているように見える。
地球である聞き手にうんと公転自転させて、じっとしている太陽のような作詞家。
それでも聞き手にはしっかり動いていると錯覚させるような、作詞家になりたいと願っています。



[19] 僕の作詞講座vol.5 投稿者:紫有情 投稿日:2008/09/26(Fri) 07:00  

「どんな歌がいいかな」って、いつも考え変な作詞をしています。
ところで、今日は作詞の基本中の基本のお話をしたいと思っています。
歌詞には確かに独創性が必要でしょうが・・・。
でも、「個性」とか「独創性」を間違われている方が結構おられるように思います。
個人的な体験とか個人的な思慕の念は、確かにその条件には合致するでしょう。
凄い人になると、自分史を作詞し作曲家に付曲させ歌手まで雇って歌わせる。
それで「なぜヒットしないんだ」と怒っている。
僕は目的が違うのではないんじゃないですか、と言いたい。
それは自己PRの歌じゃないか、と。
コマーシャルソングが流行ることはあっても、それは副次的なもの。
あくまでも商品の販売がアップするための歌だからです。
小説でも童話でも自分の思い入れの深すぎる作品は社会的に認められません。
着想やストーリーなど現実の物から借用は許されるでしょう。
でも、現実と同一では私物なのです。
自己の体験や伝聞の実話でも、一般化し誰もが共感することができるようにしたいといけないと思っています。
作詞も作曲も編曲も歌唱も個人的な仕事だけれど、その先は一般の聞き手あるいは歌い手が存在していることを
忘れてはいけないと思います。
出来上がった歌は、権利関係はともかく、一般大衆の物なのですから。
作詞も作曲も編曲も歌唱も苦手でも、みんな心の中に喜怒哀楽の歌を持っています。
その心の中の歌に共鳴させてあげてこそ、素敵な歌なのではないでしょうか。
大部分、作詞から歌は始まります。
もしかしたら、あなたの作詞で「命を救われたり」「生きる希望を得られたり」「素敵な恋が成就した」としたらいかがですか。
とっても素敵なこと、見えない栄誉じゃないですか。
微力ですが、駆け出しの作詞家のような僕でも、そんな夢を描き実践しているのですから・・・。
お互いがんばりましょうね。



[18] 僕の作詞講座vol.4 投稿者:紫有情 投稿日:2008/09/24(Wed) 07:43  

僕の作詞講座vol.3では少し脱線しました。
だから、本論に戻します。
歌の製作関係は、「野球」によく似ていると思う。
作詞家はピッチャ、作曲家はキャッチャ、どちらを欠いても絶対に野球にならない。
編曲者はさしずめファーストあたりだと思う。
企画、広報、宣伝、財務、経理も必要。
それは内外野のポジションにあたると考える。
もちろん社長なり経営者が監督だ。
バッターボックスに立っているのが歌手。
右打ちが男性の歌なら、左打ちは女性の歌だろう。
男性なのに左打ちしたり、女性なのに右打ちしたりする人もいる。
右左を変えたりすることはデュエット曲に近い。
デュエット曲は男女二人で歌うものだが、僕は一人で歌うからスイッチヒッターかな。
とても音痴なので、聞けるものではないのだが、プラムレコードさんからお声がかかった。
「特異な声を貸して欲しい」と。
だから、歌手募集コーナーで、すごい悪声で音をはずして熱唱しています。
プロ歌手以上に上手な歌手の人たちの美声に赤面しながら・・・。
空振りばかりするバッターだけれど、スイングだけはどこかホームランバッターに似ていたのかな。
それとも、デッドボールでも振り逃げでもなんとしても出塁する意気込みを買われたのかな。
それでも、おこがましく『作詞家は歌を歌うべき』だと主張している。
自分の作詞した歌だけでも歌うべきである・・・と。
それは自分の投球(作詞)に責任を持つことに繋がるからである。
作詞はするが自分の歌を歌わない作詞家は結構いる。
多くは作曲者に歌わせたりしている。
もちろん、音程は作曲家の方がしっかりしているが。
草野球や中高生の野球以外では、キャッチャに強打者はいるが、ピッチャに強打者はいないのと同じかな。
でも、自分の投球(作詞)が適切かどうかはバッターボックス(歌うこと)に立ってみなくて判らないと思う。
キャッチャのサイン任せで投球していたら勝利投手になれないのではと思わないかな。
野球はピッチャがボールを投げて遊ぶ球技ではない。
投げて受けて、打って走って、ボールを追いかける。
作詞も作詞して楽しむのが目的なら、別のジャンルの詩人になればいい。
歌の製作関係は野球と違い、アンパイアはいない。
自分の投球がストライクゾーンに入っているか否かはバッターボックスに立ってみないと判らないはず。
幸い、僕はスイッチヒッターだから左右のボックスに入って検証している。
僕はまれにしかキャッチャ(作曲)しない。
守備の技術(楽器演奏)もないし、早くも走れない(楽譜も読めない)。
でも、投げるコントロール技術だけは磨いてきたし、これからも鍛えたいと思っている。
ピッチャ(作詞家)であれピッチャを志す人なら、下手でも僕のようにバッターボックスに立つことを勧める。
本番がDHだからバッターになる必要がない場合でも、練習試合ではバッターボックスに立って欲しい。
投球(作詞)の切れを良くするためにも必要だと思うからである。
野球のピッチャと違い、作詞は死ぬ直前まで製作できる。
でも歌詞が浮かばなくなったら、ピッチャと同じように降板するしかない。
作詞も作曲も『皆様に聞かせて歌わせて楽しむもの』という根本を忘れてはいけないと思う。
勝利投手はピッチャにしかない。
キャッチャはどんなに頑張っても勝利捕手という制度はない。
作詞も同様だと思う。
野球も歌も、ピッチャの投球(作詞)から試合(歌手の熱唱)が始まる。
だからピッチャのように責任を背負って投球(作詞)してほしいからだ。
せめて、自分の作詞した歌は自分自身で歌いたいものである。
歌に込められた歌詞の重さは作詞家しか知らない。
歌詞の行間に秘められた逸話などは、作詞家だけのものであるからだ。
どんな歌も、野球同様に、最後は観客を楽しませるものである。
左のバッターボックス(女性の歌声)に立つことは、スイッチヒッター(一人デュエット)でも非難されることが多い。
そんなことでもメゲナイ『紫有情』を参考にチャレンジして欲しいものである。
着物姿の艶やかな女らしい藤あや子さん、普段はジーンズ姿でジャズ大好き、車でぶっ飛ばすのが大好きらしい。
藤あや子さんの熱烈なファンの僕は、外国語以外だったら古典から現代、あらゆるジャンルの歌の歌唱を試みている。
しかも、ジーンズ姿で・・・。
藤あや子さんの演歌を50曲以上、女性の歌声で女性より艶やかに歌っている。
ナルシストではないが、そんな虚構の女性の歌声を男性の僕は抱きしめたくなることがある。
それ自体は限りなく変態に近いことだ思う。
だが、それとても素敵な『乙女の純情恋愛演歌』の作詞をしたいが為である。
最後になったが、僕の作詞の原点を話そう。
『白い壁』という捕虜収容所の白壁に書いた一遍の詩のことだ。
残念ながら、僕はその詩を見たことがない。
僕の生まれる2年くらい前の話で、その詩は現存しないから。
満州国で徴兵され軍曹だった22歳〜23歳の父。
ソビエト連邦の参戦でシベリア抑留され、かの地で死ぬはずであった。
父はどんな想いで、白壁にその詩を書いたのだろうか。
その詩は、捕虜収容所長の歌心ある将校の目に留まり、心を動かした。
「こんな素敵な詩を書ける若者をここで死なしてはならない」と。
それだけの理由で父は帰国を許され、一番早い帰国船で舞鶴の土を踏んだ。
僕が生意気にも作詞したり厚かましく歌ったり、ここで御託を並べていられるのも、『白い壁』のお陰である。
今日は彼岸。55歳で早世した父、中日には遅れたが墓参しないといけない。
『白い壁』のように「人の心を動かすパワーがある作詞が出来ますように」と、願いつつ・・・。



[17] 僕の作詞講座vol.3 投稿者:紫有情 投稿日:2008/09/23(Tue) 18:31  

「くそ難しい理論ばっかりで『紫有情』って奴、本当に作詞が出来るかよ?」と多くの読者が思われているはずだと容易に想像できます。
白状します。実は、男の中の男の歌と恋愛詩しか作れないのです。
しかも、男の中の男の歌はモデルがいないと出来ない。
『紫有情』は「男の中の男」を目指してそんな歌を歌うのが好きであります。
その上奇妙なことに女性の歌声でも歌える。
他にも理由があるが、女性演歌を作ってたら自分でもテスト歌謡したいのである。
新型の自動車を作った人が試乗してみたくなる、あれである。
もっとも、大変な音痴なので、編曲ならぬ変曲しがちである。
詩を作るが、歌用の作詞だけではない。
あちらこちらに出かけて、若者の詩を直してあげたり、詩をプレゼントしたりしている。
以下は、彼女のために恋愛詩が欲しいという若者にプレゼントした詩だ。
そんなに時間をかけて作ったものでないから駄作だと思う。
でも、「『紫有情』は詩を作るらしいぞ」との証明くらいにはなるかもしれない。
食生活も激甘の人間だから、演歌にならないような作詞をして作曲家を悩ましています。
「ストロベリーラブ」を作曲家に渡しています。
作詞の在庫には「惚れなさい」「甘えちゃうわ」
「いやんいやん」「星の数ほど」「嫌いにならないで」
「恋は何色」「水玉もよう」「六色の虹」「かたつむり」
「花びら散った」など多数ある。
これらは全部女性演歌である。
こんなタイトルの歌詞に付曲出来る作曲家がいたらお目にかかりたいと思っています。
男は「屋島北崖男泣き」「大勝負」を作っています。
でも作品は全部本気、冗談ではありません。
専門学校の教師をしていた時代、生徒達から「冗談を本気で実行する先生と言われていました」・・・・全部本気なのに。
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「真理子」 紫有情
真理子、君と逢えてよかった
君の可愛くあどけない笑顔
君のモデルさえ敵わぬスタイル
でも一番大好きなのは綺麗な君の心
すべて僕のものにしていいかな
黄昏時の美しい町並みも
懐かしさ溢れる音楽も
もうどうでもいい
今、僕は君に夢中だからさ
今日、君に誓おう
夜明け前の冷たい朝靄に
爽やかな風が通り抜ける夕暮れに
そして大空一杯に広がる虹に
君を絶対に幸せにすると
僕の胸の中に飛び込んでおいで
強く抱きしめて離さないから
どんな魔物からも
君を守ってあげたいのだ
愛しているよ 真理子
僕の宝物の 真理子


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